九谷焼陶土づくり
Pottery Clay Production for Kutani ware
「ジャパンクタニ」を生んだ 小松の陶石
明治期に欧米でジャパンクタニと称賛された色絵陶磁器の最高峰「九谷焼」。江戸後期から小松市花坂地区で発見された陶石が「花坂陶石」として用いられており、陶石粉砕から九谷焼陶土ができるまでの昔ながらの各工程が今も残っています。この陶石の存在が多くの人々を魅了する九谷焼作品を生み出す源泉となっているのです。実際、「花坂陶石でなければ真の九谷焼ではない」とこだわる作家も多く、九谷焼に花坂陶石は欠かせません。
江戸後期に陶工・本多貞吉が小松市花坂地区で陶石の鉱脈を発見して以来、およそ200年にわたって、代々の採掘者、土屋たちによって掘り続けられてきました。鉱脈自体は今もなお尽きる気配はありません。
全国的にも希少な陶石の主要産地であることに加え、粘土加工から、素地づくり、上絵付けまでの工程を一貫して同一地域で製作されることが、小松ならではの「九谷焼」の特徴です。
最近まで、九谷焼製土所は市内の2ヶ所のみでしたが、石川県九谷窯元工業協同組合が主体となって伝統的な粘土づくりを行う製土工場を含めた九谷焼創作工房「九谷セラミック・ラボラトリー CERABO KUTANI」の整備を行い、令和元年5月にオープンしました。
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