CATEGORY

人財

こまつ読ム読ム

HUMAN RESOURCES_VOL.1

「人財」が繋ぐ、豊かな小松

「ものづくりの地・小松」のはじまり

「日本一の大名」と称された加賀三代藩主・前田利常公が小松城を隠居城とした1639年以降、小松のものづくり文化が一気に花開く。利常公は、計画的な町作りを行い城下町として整備すると同時に、産業及び美術工芸を育成し、文化や芸術を奨励。加賀百万石の財力を惜しみなく文化の発展に注ぎ込んだ。そのことから寛永文化の大スポンサーとして〝和製ダビンチ〟とも呼ばれた利常公は、建築、造園、茶道、華道、作陶などあらゆる分野で活躍した小堀遠州や金森宗和と交流を持ち、当時の名工、名人と呼ばれる人たちを加賀に召喚した。裏千家の歴史も、千利休の孫宗旦の四男である千宗室仙叟を茶堂として招き、小松城三の丸に屋敷を与えたことから始まっている。千宗室は武家だけでなく小松の町衆にもわび茶を教えたと言われ、小松の町衆文化のひとつとして裏千家が広まった。今でも小松では茶道が盛んで、多くの人々の社交の場、教養のひとつになっている。

前田利常公が築いたこの礎なくして、今の小松はない。そして後の小松の人々が、その伝統や技術を丁寧に確実に受け継いできたことにより、小松のまちが「ものづくりの地」として発展してきた。

 

 

 

 

受け継がれる伝統と技 
次世代への〝PASS THE BATON〟

日本を代表する色絵磁器・九谷焼の歴史の始まりは350年ほど前。古九谷の閉窯から100年ほど後、加賀藩は殖産振興のために金沢に春日山窯を開き、磁器の生産を始めた。その春日山窯の陶工・本多貞吉が、現在の小松市花坂町で良質の陶石を発見する。この花坂村の陶石こそが、現在も正真正銘の九谷焼の原石として使われている「花坂陶石」だ。小松市内の谷口製土所では、採石から陶芸用の土を練り上げる「土練(どれん)」の工程を、過去から受け継いだ様々な機械と地道な手作業によって、九谷焼作品に適した高品質な粘土をつくり続けている。

 

 

長い九谷焼の歴史の中で、沢山の名工も輩出された。そして今もなお、新たな人々にそのバトンが渡っている。浅蔵一華(かずか)さんは、既存の九谷焼にとらわれない親しみやすい作品を作る作家だ。三代目・浅蔵五十吉氏のご息女で九谷焼がいつも身近にあった彼女は、自らもそれについて学び伝統を継承しつつ、現代の人々に〝使う〟楽しみをもたらしている。

「加賀はお茶どころ」と言われる所以も、前田利常公が茶の産業育成を支援したことに起因する。龍助町の「長保屋茶屋」は、今や小松の人なら知らないものがいないほど有名なお茶屋。

利常公は、山城国(現在の京都府)から茶の種を取り寄せて、長保屋の初代・長谷部理右衛門に栽培させた。理右衛門はお茶の生産に成功し、加賀藩初となる新茶を奉ったところ、その香りを利常は称賛。金平村の茶に「金の薫(こがねのかおり)」、瀬領村の茶に「谷の音(たにのおと)」という茶銘を与えた。これが、お茶どころ・加賀の始まりである。

 

現在、12代・長谷部英夫さんに引き継がれた長保屋茶舗は小松の町で愛されており、この2つの茶銘も伝えられている。

小松の気候と農家の努力が生んだ強くて美しい畳表が産業として発展したのもこの頃。

イ草の主要産地は西日本。とくに小松はイ草栽培の北限にあたり、小松の寒さ、降雪量などすべての条件がイ草に合っていた。表側が硬くて輝きがある小松のイ草を使った畳表は、クッション性に富みながら磨耗しにくく美しい。地元だけでなく北陸、東北、北海道と日本海側を中心に小松畳表のファンがいる。しかし、イ草栽培には多くの手間と費用がかかる。廉価な中国産の畳表が流入したことで、小松のイ草の栽培農家は、昭和30年の最盛期に1395戸だったものが、今では宮本さん一戸だけとなった。

現在、小松イ草を栽培し、畳表を作る宮本隆史さんは4代目。昭和33年生まれの宮本さんは、小学生の頃から家の仕事を手伝う中で、イ草農家の仕事の辛さも面白さも実感。JA小松市では、イ草青年部長やイ草部会長を務めるなど、小松の農業の発展の為にも尽力している。宮本さんの息子さんも後を継ごうと農業の勉強を始められたそうだ。

 

数百年前に生まれた小松の伝統と技術は、細く長くそして丁寧に、受け継がれている。

小松の宝・里山資源の魅力を守り、つなぐ人たち

小松市の面積の7割を占める里山地域。そこで農作物・希少生物・木材・石材などの里山資源、伝統を担う職人や技術者、九谷焼など独自の文化が受け継がれ、〝ものづくりの地・小松〟として発展した。それらを現代に、そして後世に継承していくための施設として「里山自然学校」が作られている。例えば「里山自然学校 こまつ滝ヶ原」は、かつてこの土地にあった廃校した小学校と保育園を再利用して、里山の生き物や自然などを学べる施設として生まれ変わった。

また、「豊かな水」も小松の魅力だ。里山・奥山の渓流域から安宅の関を有する日本海まで、変化に富んだ自然環境を有している小松市の水は、私たちの生活のあらゆる場面に密着している。「こまつ水郷2020ネット」は、小松の豊かな水に感謝し、この素晴らしい自然環境を農林水産業、新産業、教育、文化発展に活かして交流拡大に繋げるとともに、後世に引き継ぐことを目指している。この活動に協賛する多くの市民団体が、それぞれの地域において先人から受け継いできた水辺の保全活動や水辺を活用した町づくりに取り組んでいる。

かつて始まった産業や伝統、文化が今もなお受け継がれているのは、それを〝繋ぐ〟ことに尽力する人々や「ものづくり」の魂が染み込んだ小松の風土が後押しをしている。これからも、伝統と技術、それを受け継ぐ人々、豊かな地域資源や自然環境を〝オールこまつ〟で保全し、未来に受け継いでいく。

ものづくりの地・小松を受け継ぐ「人財」

「日本一の大名」と称された加賀三代藩主・前田利常公が小松城を隠居城とした1639年以降、小松のものづくり文化が一気に花開く。そして後の小松の人々が、その伝統や技術を丁寧に確実に受け継いできたことにより、小松のまちが「ものづくりの地」として発展してきた。

Pagetop